当たり前だと思ってたもの、温かい思い出

お正月の親戚の集まり

みんなでテーブルを囲んで、おいしいお寿司をたべて

夜になったらみんなでカラオケにいって

 

夜までさわいで

 

眠くなったらふわふわの祖母宅の布団でねむる

 

一年に一回の楽しみな行事

 

 

毎年、毎年

これからもずっと続くものと思っていた

 

きづけば

祖父がなくなり、それぞれ住むところがかわり

 

参加できない人もふえ

 

集まらない年もふえ

 

当たり前にあったものが

実は当たり前でなかったことにきづく

 

当たり前だったけど

こんなに温かいものだったときづく

 

当たり前にいた人も当たり前じゃなかった事に気づく

 

当たり前にあった権利だって

それはすごくありがたいことだったんだって

 

誰かが誰かのために用意してくれた

本当にありがたいものだったんだって

 

 

こんな事を思い出したのは

伯父が亡くなったから

 

自殺だった

 

穏やかで陽気な人だった

父の兄

 

父達、兄妹は祖父が立ち上げた工場でずっと働いていた

 

祖父がなかなかの人格者だったから

人に恵まれ、取引先にもめぐまれ

 

その後を継いだ父達はなかなか恵まれているなぁと思っていた

 

私達も正直今思えば恵まれていたんだと思う

 

悲しいけど経済力って、

安定していることって人の心に安心をあたえるんだなって思う

 

生活できるだけのお金がある

安定した仕事がある

 

私は外で働いてるけど、やはり外で人とかかわることはストレスも多い

 

もちろん兄妹で働く大変さだってあるだろうが

こうしてみると

気心知れたひとと働ける環境というのは

恵まれていたのかもしれない

 

ずっとそうして生きてきたから

父達は一度も外で働いたことはなかった

 

 

コロナの影響をうけ、仕事が激減し

昨年、祖父が作った工場はつぶれてしまった

 

その話を聞いた時はとても悲しくて

 

けれど父達にとってはそれだけじゃなかった

 

まず面接することも大変

なかなか仕事も決まらない

 

せっかく決まっても人とうまくやれない

 

そんな状態

 

自分の、父でありながらなんだかとても悲しくて、みてられなかった

 

祖母はずっと仕事をしていたので

背筋はしゃきっとのび

綺麗に化粧もして

おだやかで可愛いらしい自慢の祖母だった

 

こうなってしまってから

化粧もしなくなり、

介護が必要になった

 

伯父は仕事が、なくなる少し前から

うつ傾向だったと

なくなるまで外に働きにでることはなかったそうだ

 

人は環境に恵まれていると

それを失った時に、生きる力をうしなうのかなぁ

 

「あのね、、、亡くなったの」

「え?おばぁちゃん?」

「ううん。おじちゃん」

「え?なんで病気?」

「んー」

「もしかして自殺?」

 

その後言葉は続かなかったけどすぐわかった

 

小学生のころ土曜日は

双子の、いとこの家にいって

お泊まりして

みんなでゲームするのが本当に、たのしみだった

 

お風呂あがったら

おじちゃんが私の髪を乾かしてくれて

 

どこか、遊びにつれだして、くれたり

自分の集めてるフィギュアや漫画を私に自慢したり

 

大人になってお正月に遊びにいくと

会社のうりあげが下がってからも

私に内緒でお小遣いをくれたり

 

「内緒な^_^いつまでやってやれるかわからないからな」

 

うちの父が短気で、いろいろ迷惑かけてることもありそうだから

「いろいろあるだろうけど、よろしくね」

と軽くいったときも

「お前が気にすることじゃないよ」と

 

おじちゃんどんな気持ちだったかな

 

ずっとつらかったのかな

 

おじちゃんが、苦労して作った職場

 

とても恵まれた環境

 

苦労もなくて

 

みんな笑ってて

 

 

 

 

 

 

会社がだめになってからギスギスして

おじちゃんもいなくなって

 

おばぁちゃんも変わって

 

みんなバラバラになって

 

 

なんか結末が悲しすぎて

 

 

 

うちの父は母がいるから

支えてくれる人がいるから

 

おじちゃんはずっと孤独だったんじゃないか

 

最後どんな気持ちだったのか

 

重荷から解放されたのか

 

当たり前にあるものはいつ壊れるか

いつなくなるかなんてわからない

 

すごく悲しい